近年、「お寺の掲示板」が、にわかに盛り上がっています。
各お寺が競うように、いい言葉、ほっこりする言葉、ちょっと笑える言葉などを掲示しています。
例えば
「老婆は一日にして成らず」
と掲示板に書いたお寺がありました。
もちろん「ローマは一日にして成らず」をもじった言葉ですが、いろいろと意味を深読みしたくなる味わいがあります。
松本治療院の近所のお寺にも入口に掲示板があり、私も通りがかりに読んでいます。
先日は、
「人生に正解なし 不正解なし」
という言葉が書いてありました。
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人生の正解、不正解。
学校のテストには決まった答えがありますが、人生には正解も不正解もない。
あえて正解らしきものを考えると、自分が選んだ答えに納得できているかどうかでしょうか。
私自身が選んできたことだと、好きな場所に住み、好きな仕事をしていて、それなりに納得感はあります。
でも、名古屋が嫌いな人にとっては、名古屋に住み続ける私の生き方は不正解でしょう。
また、鍼灸マッサージの施術をする仕事も、人によっては苦痛かも知れません。
人生に正解なし、不正解もなし。
自分がどうしたいのか、どうありたいのかが重要で、他人と比べたり、他人のモノサシで計ったりしても、迷いが深まるばかりでしょう。
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先述したように、私は自分のここまでの人生の答えに、一定の手ごたえがあります。
しかし、「迷いがないか?」と問われれば、答えはNo。
毎日迷い、間違えることばかりです。
ここ数か月・数年を振り返っても、
「あの時、ああしていたら」
「あの時、あんなこと言わなければ」
そんな思い出がいっぱいあります。
タラレバ病で、済んだことが頭をぐるぐる回ります。
これまで44年間生きてきて、スムーズに正解が出せた方が遥かに少ないでしょう。
何かにつけて、一度もしくは何度か失敗しながらでないと、前に進めない自分に嫌気がさすこともあります。
私の好きなマンガのセリフに
「親が子供に教えなければならないのは『転ばない方法』ではなく、むしろ、ひとは転んでも何度だって立ち上がれるという事じゃないか!?」
というのがありました。
私が自分でマシだと思えるのは、この「何度でも立ち上がる」ことだけです。
そして私がこれまでの人生で、あちこちぶつけながら、何度も転びながらでも、諦めずにまた立ち上がって、前に進み続けられるのは、周りの人たちに何度でも助けられ、許されてきたからだと思うのです。
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ここで話を冒頭の『お寺の掲示板』に戻します。
この文章を書くために、お寺の掲示板について調べていたら
「仏の顔は何度でも」
という言葉がありました。
個人的に、非常に惹かれる言葉です。
普通は
「仏の顔も三度まで」
と言いますが、正に私は三度どころではなく、何度でも許されてきたのです。
特に身近な人たち(家族、スタッフ)には、失敗・失言を注意されながらも、許されています。
だからその分、私は人の失敗に対して、そう簡単に腹が立たなくなりました。
人が失敗しても
「そんなすぐに上手くいかなくても当たり前だよね」
とか
「つい変な言い方になっちゃうこともあるよね」
思います。
また次の時に上手くいくように、同じ失敗をしないように、工夫や改善すればいいだけです。
このように私は許され続けた結果、人を許すのも得意になったようです。
余談ですが、「許し」についてある友人と話をしていたら、
「松本君は、自分の家族が殺されても許せるの?」
と、つっこまれました。
私は
「それは相当難しいし、そんなのなってみないと分からない」
と、答えました。
その友人は何かにつけて、極論を言うのが好きなのです(笑)
そういった極端なことはわかりませんが、日常レベルの人の失敗はほとんど許せるし、繰り返し失敗したとしても、何度でも気長に待てると思っています。
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松本家の家庭においても、松本治療院の職場内でも同様です。
「仏の顔は何度でも」の精神で、失敗しても許し合い、「一緒に改善していこう」と言い合える場に育てていきたいと思います。
更には、お互いの失敗を許すだけでなく、一緒に失敗を笑い合える関係性が作れたらと願っています。
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